福岡市内でコスパ良くおいしく、明るい接客で評判の焼肉店「極味や」。福岡PARCOへの出店をきっかけに開発したハンバーグが看板メニューで、レストランゾーンで開店前からラストオーダーまで行列の絶えない人気店となりました。
福岡PARCOから始まった「極味や」のハンバーグは、渋谷PARCO、名古屋PARCO、沖縄PARCO CITYのほか、東京駅や全国のモール、そして海外にも進出し、「極味や」拡大の原動力となりました。「極味や」を展開する株式会社わっはっはの松尾社長に出店時のお話を伺いました。
当時、パルコでリーシングを担当されていた三崎さんから、オープンする福岡パルコへ出店しませんかと声をかけていただいたんです。
福岡PARCOの本館って、もともとは岩田屋だったじゃないですか。福岡の中心ですよね。そこに出店できるのはやっぱり名誉なことだし、チャンスだと思いましたね。
そう。福岡の中心で成功するってことは、次のステップになるかなって。それこそ、東京、大阪、名古屋に出て行ったり、世界に行ったり。
お店を出したけどこけましたっていうのは、なしだなって。絶対やるぞって決めていました。
城西にあった1店舗目のお客さまに会社経営されている方がいて、「君はずっとここの大将でいるのか。それとも社長になるのか」と聞かれたことがあったんですよ。
仮に僕が店の大将としてその先20年働いたとして、ずっと一緒に頑張ってくれている仲間たちが、家を買えるのか、家族を養えるのかって考えてみて、このちっちゃい店舗では無理だと分かったんです。それならもうやるしかない。「僕は社長になります」とその時に決めました。
それからはいつも、「ここでできなければ、次はない」と思ってやってます。
だって、みんなとずっと一緒にいたいから。楽しいことしていたいから。
僕の楽しいことって、やっぱり目の前の人が笑ってくれることなんですよ。目の前の人から笑顔をもらって、自分の幸せに変換する。一人でいても、やっぱりおもしろくないですから。
よくどうやってお金を稼ぐんですかって聞く方がいますけど、順番が違うんですよね。僕からは「周りの人と笑ってるの?」って聞きます。笑う角には福来るじゃないけど、お金とか全部後付けなんです。笑わなきゃ何にもならないでしょって。
極味やの理念でもあるのが、「笑顔になれば、笑顔にあえる」。だから自分たちから笑おうかって。それで笑顔に会えたら、もう幸せなんだよって。それしかないです。
当時のお客さんには「焼肉を食べに来たんじゃなくて、笑顔を食べに来た」ってよく言われてました。嬉しかったですよね。
僕たちも30代前半で若かったですし、お店もうるさいくらい元気でしたから。勢いがあったと思います。
一緒にお仕事をして思ったのは、パルコは本当にどの企業も対等に扱ってくれるということ。僕たちより規模の大きなお店も小さなお店もありましたけど、どの企業にも対等にチャレンジをさせてくれる。パルコの思いを感じました。
ほかの商業施設ともお仕事するようになって、パルコはあるものを組み合わせて完成させるんじゃなくて、基礎から作っていく人たちなんだって、あらためて思いました。そして必ず、最先端も、未来も見ている。
営業の若い方も、なんなら年配の方もめちゃくちゃ元気だし、着ているものも派手ですし。笑
生き生き楽しそうに仕事して、新しいチャレンジも失敗しようが関係ないみたいなところもいいですよね。それをこの規模でやっちゃうんだから、ある意味、変態だなって思いますよね。
で、結果的にうまくいく。うん、魅力がありますよね。
三崎さんからは「食堂の形態で出してもらえませんか」と言われていたので、カレーかハンバーグで行こうって決めてました。僕の頭では、このどちらかを制すれば日本を制すると思っていたんで、ここを極めようと2本立てで開発を進めました。
オープン1週間ぐらい前だったかな。パルコの方も交えて、みんなで試食したんですよ。ハンバーグを食べた瞬間に「あれっ」って。「これで、お客さんが笑顔になれるかな」と思ったんです。
いや、おいしいんですよ。おいしいけど、なんか物足りない。
これは自分たちのハンバーグじゃないと思って、「やめよう」って言いました。
僕たちがずっとやってきた、肉のおいしさが出ていなかった。
その時に試作していたのは、柔らかい、飲めるハンバーグみたいなもの。それはそれでおいしかったけど、肉のおいしさを伝えるには、このハンバーグじゃダメだと思ったんです。
何ヶ月もかけて開発して、数百万円もする専用のオーブンも入れて、全部準備していた。このタイミングでひっくり返すからには、さすがに社員にやらせるわけにいかない、指示できないと思って、そこから一人こもって、作っては食べて作っては食べて。
レシピが完成したのは、オープン1日前でした。
僕が嫌なんですよ。100%じゃないと。
僕がそう思ったならやりたい。やり遂げたいんです。
昔、「2位じゃダメなんでしょうか」って言葉がありましたけど、最初から2位を狙っていたら、結局3位にも4位にもならないですよね。
1番じゃないと。100%じゃないと。
そう。だから、名前も「極味や」。ずっとやり続ける、極め続けるんです。お店を始めた頃から「味に答えなんてないよ」と伝えてきましたから。
そう。完成したのが今の肉肉しいハンバーグです。
ハンバーグって、玉ねぎやパン粉をつなぎとして入れますよね。でも、自分たちのハンバーグは本当にビーフ100%※。もう、おにぎりかってくらい。笑
※実際は95%くらいです。
これが本当の牛の味なんだよって、胸を張って言えます。
部位ごとに違う脂の味を絶妙に組み合わせて、匂いも食感も考え尽くして作りましたから。絶対真似できないですよ。だって、バカじゃないと作れないですもん。笑
カレーって、あれ生きてるんですよ。生きている間、ずっと呼吸している。だから、味が変わるんですね。
おいしいものができても次の日に味が変わっちゃうから、出せないんですよ。
ありがたいことに、オープン当時から並んでいただいて。
最初は惣菜や冷麺などのメニューもあったんですけど、ハンバーグばかり出るので、今の形になりました。肉の味が違うって、食べたら分かりますもんね。
そうですね。
福岡PARCOがオープンした2010年、日本でスマホを持っていた人は半分以下でしたよね。でも、韓国は当時からほぼ100%がスマホで、SNSも韓国が先行していました。
で、そういう方たちがお店に来て、写真を撮って、SNSやブログで「おいしいお店を発見したよ」って発信して。そこからですよね。
僕たちにとってはたまたまなようで、パルコさんはもちろん初めから分かっていた。来店者を見込んで、色々な人を呼んでイベントを仕掛けていましたから。その通りになっちゃって、すごいなって思いますよね。これ、ほめてますからね。笑
もうずっとですね。
3歳の頃、ゲームがしたくなって、住んでいたあたりから博多駅まで3kmくらいあるんですけど、一人で歩いていってゲームしてたとか、幼稚園の入園式も僕一人で行ったとか。公務員の姉がいるんですけど、全然性格が違います。
自分ができること、気になったことは全部やりたいんですよ。なんというかね、モヤモヤしてるのが嫌いなんですよ。後悔したくないっていうのかな。
モヤモヤが残った状態でうまくいかなかったら自分のせいでしょう。でも、やることをやってたら、やり遂げていたら、仮に失敗したとしてもしょうがないなって諦めがつくじゃないですか。
とにかく自分の持っている限りを尽くすみたいな感じですよね。いつも。
いや、どこで間違ったのか。元々僕はファッションの専門学校に行って、洋服を作っていたんですよね。手をミシンで縫ったこともありましたよ。
ただ、高校の時から色々な飲食店やホテルの配膳、皿洗いのアルバイトをして、まかないだったり、つまみ食いしたりしてるうちに、今日はおいしいなとか、今日は味が悪いなとか、だんだんと味が分かるようになっていったんです。そのあたりから、飯屋になることが決まってたのかもしれないですね。
焼肉屋でバイトを始めた時も、最初はこれは簡単だと思ったんですよ。こんなに儲かるんだって簡単に考えていたけど、やり始めたら難しくってね。こんなに難しいんだと分かってから、はまりましたね。
いつも、毎日してます。笑
パルコでも、開店当時はなんでも食べ放題にしていたから、とんでもない赤字になったり。
同じ時期に鹿児島の黒豚を使った肉まんを作ったことがあって、すぐに人気が出たけど、売れば売るほど赤字でね。なんでだろうって思ったら原価より安い価格で売っていたりとかね。すぐにやめましたけど、今でもあれは日本一おいしい肉まんだと思いますね。
ここで言えないこともありますけど。とにかくね、おもしろくないと。
最初は噂で耳にして、その後、テレビのニュースで見ました。ぽかんとしましたよね。やっぱり本当だったんだって。
実家がなくなるとか、母校がなくなるみたいな気持ちです。自分たちを育ててくれたところなんでね。今でも寂しいですよ。
そうですねぇ。全然ならなかったですね。笑
まだ実感がないですよね。
そうですね。ハンバーグの開発もね、僕たちが努力したって言われますけど、そう思っていないんですよ。これじゃみんなが喜ばないと思ってしまったから、やる。最後までやっちゃうみたいな感じ。
お客さまの笑顔が嬉しいからやり続ける、これって苦労じゃないんですよ。誰だって嬉しくないことしたくないじゃないですか。
例えば、明日もっとおいしい、自分たちらしさが出せるレシピができたら、すぐに変えます。いつでも、絶対100%でいたいんで。
そうです。答えがないですから。僕たちもパルコと一緒で、未来を見て進化し続けている、というか。
そうですね。パルコがどう思っているか分からないですけど、僕たちにとってはベストパートナーです。
パルコって、僕たちの原点。核であり、エネルギーだったんですよね。自分たちみたいなお店に声かけてもらって、ここまで育ててもらった。本当に感謝しかないですよね。
だから、また数年後に作って欲しいですよね。ここから発信していく元気な企業を発見して、新しいものを作るチャンスを対等に与えてくれるパルコであって欲しいです。
世界ですよね。世界進出。
そう、このハンバーグで。今、話を進めているところがいくつかあって、2年以内には全て出店する計画です。
パルコさんがなかったら、今の僕たちはない。それはもうはっきり言えます。育ててもらった親には感謝していますし、これからも言い続けていきますよ。
僕たちはまだまだいきますから、パルコがまた福岡にできるなら一緒にやりたいです。新しい課題をいただけるなら、その時にも一生懸命やりますよ。
株式会社わっはっは 代表取締役
那珂小学校→那珂中学校→第一高等学校→九州ファッション専門学校(現在閉校)
焼肉店を数社渡り歩き、30歳で焼肉店開業
2003年創作七輪焼にくの極味や 開業
開業7日目で痛風発症入院。
現在に至る。