福岡で、企業やプロジェクトのブランド作りを数多く手掛ける小柳俊郎さん。開業プロモーションの骨子策定から、
1周年企画まで宣伝プロモーションに深く関わった立役者の一人です。
SNSが普及する前、福岡の街に200人の宣伝部員を任命して、自然な口コミの発生を仕掛け、
福岡PARCOオープン当日の大行列を作った企画「パルコ みんなの宣伝部」。企画の裏側と、今につながるブランディングの原点を聞きました。
当時、僕は外資系の広告会社で新聞やテレビの広告枠を押さえるメディア責任者をしていました。割と何してもいいよみたいな会社だったので、自分たちで考えて自由に動けたんですね。
2008年ごろだったかな。ずっと空き家だった旧岩田屋のビルにパルコが来るらしいと聞いた時は、社内が色めき立ちました。
天神の一等地のビルが、幽霊屋敷みたいに何年もずっとシャッターが閉まっている状態を、毎日見せつけられていたわけですから。「これは絶対、俺たちがやらないかんやろ」って話したのを覚えています。
パルコは広告も半端ないし、おしゃれだし、若い頃から憧れの存在ですよね。僕は大牟田の生まれなので、熊本PARCOにはよく行ってましたし、渋谷PARCOにも行きました。
大分と熊本にあって、なんで福岡にはないんだろうって思ってましたから。憧れのものがついに福岡に来るんだって、それはなかなかのインパクトでした。
パルコから来るのを待っていられない。こちらから情報を取りに行って動かしていこうって。当時大分店で店長をされていた、伝説のカルチャー親父である柴田さんに話を聞きに行きました。「パルコって何をやろうとしているんですか」って。
そうです。このくらい大きな会社だったら、普通は何社か集めてコンペをするんですけど、パルコは違っていました。
柴田さんや色々なスタッフの方とつながりながら「こんなことしたい」というパルコの話を伺って、「それなら、こんなのはどうですか」とこちらから提案して。そうこうしているうちに話が出来上がって、自主提案を受け付けてくれる感じになっていったんですね。
コンペの場合は、どうしても競合に勝つような提案になってしまう。でも、パルコと僕たちの1対1なら一番深くて面白い企画が出せますから。型通りじゃない方が絶対面白いものができるって、パルコ側は本能的に知っていたんだと思うんですよね。
パルコの方から「福岡ってどんな感じですか」とよく聞かれていましたね。
僕たちからは、福岡の人って個人個人は熱いけど、集団になるとスンとするんですよ、とか。熱しやすくて冷めやすい、例えば地元球団が勝っている時はおおーって盛り上がるけど、負け出したら急に見に行かなくなります、とかお話して。パルコの方はおもしろおかしく受けとめてくれました。
「東京からパルコが来てやったぜ」みたいにしたら絶対失敗しますって、そんなことは言わずもがな、当然分かっていらっしゃって。合言葉は「地面からパルコが生えてくる感じ」。
元々そこにあったかのように、オープン日には「あれ、パルコってまだオープンしてなかったんだっけ」みたいにできたらいいですねと話していました。
コンセプトは「パルコ みんなの宣伝部」。オープンまでに、街場の人たちをいかに巻き込んでおくか。そうしないと、福岡の人ってスンってしてしまいますからって。笑
パルコと話しはじめていた2008年は、日本でiPhoneが初めて発売されたり、mixiが全盛期のころでした。招待されないと入れない仮想空間で個人がブログを書いたりしていたんですよね。
同じ頃、パルコのメインターゲットになる20代女性に「最新の情報はどこから取りますか」というアンケート調査を行いました。1位はもちろんテレビ、3位が雑誌で、インターネットは4位だったかな。
2位が、なんと美容室だったんですよ。
要は、口コミです。実際に知り合いの美容師にも話を聞いて、若い方たちは信頼している人から聞いたもの、良いと教えてもらったものを取り入れていること、街の流行を作っているのは街中の情報なんだって分かったんですね。
今でこそ、インフルエンサーやインスタグラマーの存在が当たり前になっていますけど、当時は何かを伝えたいとなったらマスの広告だ、いやポスターだという仕事をしていた頃でしたから。街のリアルな情報の「伝わり方」から企む必要があるんだと知らされたアセスメントだったんですよね。
そうです。パルコが、まるで昔から福岡にあったみたいにオープンするために、街の人たちが事前にパルコの情報を知っている状況を作ろうって。ファンを持っている美容師さんだったり、バーのマスターだったり、200人くらいを人選して「パルコ みんなの宣伝部」という名刺を作って、渡していきました。
ただ名刺を渡すだけでは配ってもらえないので、福岡市内のカフェを貸し切って、「パルコ みんなの宣伝部」のパーティを開いて、パルコのお偉い面々にも来ていただいて。
その場で、パルコの方たちが「ちょっとまだ伏せておいていただきたいんですけど、実はこういうテナントが入るんです」って、真顔で言うんですよ。「絶対言わないでくださいね」って。そんなこと言われたら、みんな絶対話しますよね。笑
宣伝部の200人の方には、それからも「まだ誰も知らないパルコの情報」を定期的に流していきました。
SNSという手段がない時代で、そんな泥臭い努力を続けているうちに、あの江口カンさんが「パルコ みんなの宣伝部」のテレビCMを手がけることが決まって。僕たちのチームも江口さんとやれるんだって沸き立っていました。
完成したCMには三谷幸喜さんや森山未來さんが出られていて、開業日まであと何日のカウントダウン形式のCM素材が、集中的に流れて。そうすると、200人の方もまた「俺、パルコ宣伝部だから」って盛り上がってくれて。「ありがとう。またモテちゃうな」って僕にお礼を言う方もいましたね。
名刺は各200枚作っていたので、一人が50枚渡すだけでも10,000人に届く。そうやって、街場で泥臭くやってきた仕組みがきっちり出来上がったところに、クリエイティブの力のあるマスの広告がボンッと乗っかって。作ってきた仕掛けが、下からと上からガチっとハマった瞬間がありました。
オープン当日には、招待状のある方だけなのに、建物をぐるりと2周するくらいの長い行列ができていた。宣伝部の200人から始まってこんなに人が集まるんだって、印象深かったですね。
福岡PARCOオープンの翌年、博多駅に「JR博多シティ」がオープンする。どうしたって人が博多駅に流れることは避けられないから【便乗】しましょうって企画書にも書いていましたね。
当時のクリエイティブチームがめちゃくちゃ攻めていて、「博多駅は混雑しているでしょうから、”湯”ったりしてください」って、女の子が銭湯に入っている広告を作って、博多駅の一番長いエスカレーターに銭湯のビジュアル広告を展開して「博多の次はパルコにせんとぅ?」って。
いい意味でのやけくそ感があるというか、めちゃくちゃ突き抜けてますよね。会社でも「この企画、クライアントは通っているのか」って聞かれるくらいでしたから。「みんなの宣伝部」も、「パルコにせんとぅ?」も、固い会社だったら絶対実現しない企画ですよ。
実際には東日本大震災があって、4素材用意していた最後のテレビCMはACに差し替えられましたけど、震災の翌年には売り上げも回復していて、さすがパルコだなと思っていました。
個人的なことになりますけど、福岡PARCOの仕事は、僕にとってターニングポイントになりました。
当時の仲間うちでは、社会にどれだけ面白いことをやるか、誰も見たこともない仕掛けをしてどう街の人たちを喜ばすか、みたいな物差しがあったんですよ。
社会、街、界隈がなんなのか、言葉としては使っていても、実際には見えていなかった。福岡PARCOでの「みんなの宣伝部」みたいな企画を通して、街の人たちがどんな人なのか、めちゃくちゃ鮮明になりました。
広告そのものが効かなくなっていくことを、広告業界の人間が気がつかないわけないじゃないですか。
2010年以降はスマホが普及して、Facebookがブァーっと広がっていって、この時リアルで仕掛けていたことがSNS上でどんどん起こっていったわけですよね。その前に、手探りのまま、福岡の地でこれだけ大規模にやったのは、パルコが最初だったんじゃないかなと思いますね。
そうですね。目の前にいる何人かだけが熱狂するものを一生懸命作れるかどうか?「深く狭く刺す」のが、ブランディングの第一歩ですから。
「パルコ みんなの宣伝部」で生まれた、街のつながりがとにかく強烈で。知り合った方から今度お店に来てくださいよって言われて、行くとまた知り合いができて。それをくり返していくうちに、街が広くなっていった感覚がありました。
人と人がつながることで、街が広くもっと強くなる、そのことで街がまた活性化して売り上げも上がるって、体感で知ってしまった。
僕が聞いた面白い話を、僕だけが知っているのはもったいないと思いはじめて、福岡の人”だけ”に伝えようって、福岡都市圏だけで深く狭く刺すフリーペーパー「BOND」の創刊にもつながっていきました。
街の文化の基準点、かな。そういう役割を自然と担おうとしているんだろうなと、ずっと思っています。
今も、開店前のパルコに長い行列ができていて、「なんの行列ですか?」と尋ねて、答えてもらっても何のことか全然分からない。それが良いですよね。僕が知らない、そういう深くて狭いものを、パルコはずっとピックアップしつづけている。かと思えば、メジャーと組む企画も持っていたりして。ブランディングの仕事では、企業の方に「50年100年と続く、消費されないメッセージを作りましょう」と話しているんですけど、パルコはその逆。回転早く、どんどん消費してもらって、その先のネタ、また小さくて深くて狭いネタをガンガン仕込み続けている。
パルコのような規模の会社が、それを生み出し続けている熱量がすごいですよね。
閉館すると聞いた時は、さすがだなと思いました。
天神エリアの一体開発という事情もありますけど、今もたくさんの人が来ていて、ちゃんとしたテナントもいっぱいあるなかで、パッと潔く、余裕で辞めていく雰囲気がさすがだなって思います。
天神の文化の基準点が少なくとも数年はなくなりますけど、また帰ってくるんでしょうって。だから、全然寂しさはないですね。
福岡PARCOのある場所は、天神の中心。誰がどう考えても一番いい場所じゃないですか。天神の重心が北や南に移ったと言っても、真ん中は変わらないですから。
数年後にまたここにできるものも、若い人が化学反応をおこす場所がいいなと思いますね。
僕たちのようなおじさんたちが、「なんこれ、いっちょん分からんばい」って言うようなもの、はたから見て何が起こっているんだって気になるものなんでしょうね。僕たちが若い頃、古着を買って帰って、親にあきれられていたみたいにね。
そういうものを、若い人たちに作っていってもらいたいですよね。
パルコには、期待をずっと裏切っていてほしいんです。AIが全部の正解を出してくれるようになっても、「えぇそんなことしちゃうの」って言うような、人間くさい生命体でいて欲しいですよね。
株式会社 クロマニヨン 代表取締役/CEO
福岡県出身。大学卒業後遊園地事業会社に入社。
2003年に外資系広告会社に転職。100社を超えるメディア戦略業務を経験。ビジネスマン向フリーペーパー「BOND」の編集長を8年間担当。
2020年5月、企業・事業のブランディングに特化したブランディング会社「CROMAGNON&Co.」を起業。「八女茶ブランディングプロデューサー」「&SAKE FUKUOKA 総合プロデューサー」「事業構想大学院大学ブランド戦略特任教授」を現任。ビジネスコミュニティ「SAPIENS」主宰。