福岡パルコ

INTERVIEW HEY!PARCO SPECIALインタビュー

東京と福岡をつなぐワームホール
自分が10代の頃にあったら、全然違ったなって

江口カン HEY!PARCO SPECIALインタビュー

KAN EGUCHI

江口カン/映画監督

2010年3月19日にオープンした福岡PARCO。
オープニング広告の企画・制作を担当したのが、
江口カンさんでした。福岡PARCOがオープンしてから16年。
「パルコが福岡になかった頃から、圧倒的な影響を受けている」
と話す江口さんに、パルコとの関係性や、
福岡PARCOへの思いをお話いただきました。

時代やカルチャーを先頭で引っ張っていたのがパルコ
江口さんにとって、パルコはもともとどういう存在だったんですか。

パルコってね、やっぱり僕ら世代からすると、憧れの存在なわけですよ。
パルコの広告、CM、グラフィックも、クオリティは高いし、多分お金もかかっていて、エッジも立っているし、とにかく時代やカルチャーを1番先頭で引っ張ってるようなね。

広告に出ている人たちもすごくて、僕の印象に残ってるのは、 内田裕也さんがハドソン川をスーツ着て泳いでるやつ。後に裕也さんにその話を聞いたら、 当時のハドソン川って汚染がひどくて、めっちゃ臭かったらしいんですよ。
でも、そこで、サラリーマンみたいなスーツ姿で裕也さんが泳いでるっていう。
他には、プロレスラーのスタン・ハンセンが出ていたものとかね、もう言い出したらキリが ないんですけど。

コンセプトも深いし、どれもめちゃくちゃかっこよくてね。

パルコで買い物もよくされてたんですか。

東京に行った時は、やっぱり行ってましたね。

気に入ったブランドがあったりとか。

あったかもしれないけど、そこはあんまり覚えてなくて。東京に行った時は、パルコにめちゃくちゃ長時間いましたね。

洋服を見たり、クリエイティブを見たり、ですか。

そうそう。空間を見たり、パルコ劇場にも行ったり、もう色々ね。

2010年、ついに福岡にパルコが来る。そのことを、江口さん個人としてはどんな風に受け止めていたんですか。

やっと来たなって感じでしたね。でも、正直言うと、ちょっと遅かったなって。
僕が10代の時に来てほしかったなって思いましたよね。

先に熊本、大分にパルコができて、なんで福岡にないのかなっていうのはずっと思ってたから。
もちろん、福岡には天神コアがあって天神ビブレがあって。
そう、その前にマツヤレディス(現在はミーナ天神)があった。

マツヤレディスが毎月タブロイド紙みたいなものを出してて、パルコっぽい若者カルチャー的な発信をしてたんですよね。10代の頃は、毎月天神にそれをもらいに行くみたいに過ごしていたから、その頃に、パルコがあったらなとは思っていましたね。

ご自身のカルチャーに触れる厚みが変わったかもしれない、みたいな。

そうですね。
古い話になっちゃうけど、当時はネットもないし、ファッションでもカルチャーでもなんでも、情報を自分で取りに行かなきゃいけなかった。
とにかく色々な情報が欲しい時に、情報源が1つでは満たされないわけですよ。

そうですよね。

パルコって、ある種のワームホールなんですよね。

ワームホール?

宇宙空間をワープするときにこっちから入った瞬間にあちらに出るみたいな、
ワームホールというのが宇宙物理学的にはあると言われていて。

パルコって、東京と福岡にぽかっと開いているワームホールみたいなものだと思うんですよ。
ここがあることで、東京の情報をすぐに浴びられたり、ちゃんと生で見れたりしたんだと思うんですよね。

そういう意味で、僕の10代の頃にパルコがあったら、
また全然違ってただろうなって思いますね。

表現者にとっての特別な場所
そんなパルコと実際に仕事をすることになった時は、どんな気持ちだったんですか。

僕が10代20代の頃は福岡になかったのに、圧倒的に影響を受けて育ってるんで。
いつかパルコの広告を作りたいという思いはずっとありました。

で、ついにパルコが福岡にやってくる。そのオープニングCMや広告物の制作を一緒にやってくれないかと言われた時は、めちゃくちゃ嬉しかったですね。
クリエイター冥利につきるというか、もうこれが俺の仕事のゴールでもいいなって本当に思いましたから。

で、今回、久しぶりに見返したんだけど。自分でもねぇ、とんでもないものを作っちゃったなって思ってますね。笑

とんでもないもの、ですか。

当時、福岡PARCOの立ち上げを真ん中でされていた柴田さんという方がいらっしゃって、もちろん絵コンテやプランも見せていましたけど、出来上がったCMを見た時に「これはパルコ初だな」っておっしゃったんですよ。

ほめられたんですよね。

いや。多分、なんて言っていいか分からなかったんだと思います。
つまり、何が初めてかっていうと、おしゃれじゃないんですよね。笑

パルコの発信って、広告にしろカルチャーにしろ、これまでも色々なところに爪痕を残してきたと僕は思っているわけです。そこだけは自分たちもやりたいなって気持ちはあった。

福岡にパルコができる。福岡の人たちが「一体何をやろうとしているんだ、パルコは」って口コミが起こるようなものをどう作ろうかと、チームでひたすら考えていました。

僕の話になっちゃうけど、先輩たちの作ったものを踏襲しても仕方ないし、いつでも何か違うものが作りたいんですよね。だからやっぱり、気負ってたんだと思います。

それは、気負いますよね。

だって、パルコだもん。

むしろ、中途半端におしゃれに収めちゃうと、「そうだよね。パルコってこうだよね」「なんとなく”ぽい”ものを作ってくれてありがとね」で終わっちゃう。けど、それじゃ終わりたくないですよね。

それで、ものすごく気負って、おかしなことになっちゃった。よく分かんないけど、お笑いに行っちゃったっていう。僕、今だったらこれやらない、怖いわって思いますね。

ただ、当時の熱量が今でもすごく伝わります。

撮影の時も、なんというか、ものすごい一体感がありましたね。
福岡の俳優さんたちをキャスティングしてるんですが、みんな張り切っていたし、この仕事への高揚感が現場でもビンビンに伝わってましたね。

このCMでは、オープンの1週間前なのにまだ企画ができてないっていう、まさに僕たちそのものみたいな状況なわけですよ。
そういう意味では、ちょっとドキュメンタリー的な要素もあって。

もうすぐオープンなのに、まだできてない、まだできてないっていう話を、オープン前の1週間、毎日違う内容でずっと引っ張って行くわけですよね。

で、最後に温水洋一さんが出てくる。
昔、忌野清志郎さんが出ていたパルコのCM(今見たら全然違ってましたけど笑)を、温水さんでセルフパロディしたわけです。そこが、僕の中ではめちゃくちゃコンセプチュアルでかっこいいなって思ってました。当時は。

けど、今見たら、汗しか出ない。もう汗まみれです。笑

笑。実際に完成したものが放送された時はどうでしたか。

自分が作ったパルコのCMが流れていることがまず嬉しくて、パルコの入り口に設置された広告ビジョンのところに毎日観に行ってましたね。
出来上がったCMも、それを立ち止まって観ている人たちのことも見てました。

当時はXもないんで、今みたいに反応をダイレクトに知れるわけではなかったけど、みなさんの期待感はあおれたんじゃないかと思いますね。

CMには、三谷幸喜さん、森山未來さんにも本当に一瞬出てもらっているんですけど、 2つ返事で「オッケー、出ます」「パルコ劇場でお世話になってるんで」って言ってくださって。
やっぱり、パルコすごいなって思いましたよね。

彼らにとっても、パルコは表現の場であり特別なものなんだな。
やっぱりパルコすごいなって思いましたよね。

街の真ん中にパルコがあることが、 一つのカルチャーだった
そうやって始まった福岡PARCOは、江口さんにとってどんな存在でしたか。

リトルトーキョー in 福岡みたいな感じはもちろんありつつ、ちゃんと福岡のクリエイターも大切にしてくれるんだなという感じが印象的でしたね。

一緒に仕事をさせてもらって思いましたけど、パルコの社員の方たちがまず、クリエイティブ大好きですよね。先日も沖縄のサンエー浦添西海岸 PARCO CITYの広告を作らせてもらったんですけど、その時も感じました。

パルコがその時代時代で尖ったものを出してた理由が分かるというか、こういう人たちが作るからそうなるんだなって思いますよね。
みんなノリノリなんだもん。予想外のものが出てくることも楽しんでくれる感じがします。

だから、僕の広告にも「パルコ初だね」って。
ほんとなんて言っていいのか困ったんだろうけど、楽しんでくれているんだなとも思えたというか。

パルコとクリエイター、お互いに刺激しあっているんですね。

そうですね、本当に。

福岡PARCOがオープンして16年。震災やコロナがあって、
メディアはテレビからSNSへ、色々なものがガラッと変わりました。
江口さんご自身も長編に挑まれたり。パルコの存在が関係しているところもありますか。

そうですね。僕が作るもの、場所もどんどん変わってはきているけど、僕の中では常に越境していってる感じなんですよね。

どこに越境したとしても、僕の頭のどこかにはパルコが作ってきたものがいつもある。
レンズの使い方、照明の感じ、そういうディテールも含めてね、なんか圧倒的にあるんですよね。これはもう避けられない。
福岡になかった分、憧れも強くて、書物でもいっぱい見てきたから、本当に染み込んじゃってて。

ベースになっている、というか。

そうそう。だから、パルコと僕の関係性で言うと、ずっと身近にいる感覚があるのかもしれないですね。

福岡PARCOの閉館を知った時はどんな思いでしたか。

いや、色々と複雑な気持ちになりましたよね。

街の真ん中にパルコがある。これがもう、なんというか一つのカルチャーじゃないですか。
パルコからのクオリティの高い発信があって。それを受け取りに来る人がいて。

そりゃハイブランドの広告だって一流のクリエイターが作っているし、良いものであることは間違いないですけど、パルコが作るものとはメッセージが明らかに違いますから。

もちろん、天神ビッグバンの必要性も理解した上での話になりますけど、パルコがなくなって、その先の天神が世界中のどこにでもあるようなブランドが並ぶ街になってしまったら、残念だなと個人的には思いますね。

天神には福岡の方はもちろん、鹿児島や熊本だったり、山口の方からも買い物に来ますから、
長い目で見るとカルチャーやクリエイティブに影響が出そうですね。

九州にパルコが1つもなくなるってことですからね。真ん中が空洞化するんじゃないですかね。
うん、だと思うな。

今の若い人たちってバンドのセッションもネット上でしますし、作った音楽をSNSで公開して、つまりどこにいたって作れる時代になってますよね。

そんな時代でも、街の真ん中にパルコがあって、
実際にざらざらした手触りを感じられるものがいっぱいあったのに。なくなってしまったら、別に福岡じゃなくていいや、天神じゃなくていいやってなる気がするんですよね。

でも分かんない。当の若い人たちはむしろ今の方がいいって思ってる人もいるかもしれないけどね。

ただ、カルチャーでもなんでも、必ず1周するじゃないですか。
例えば、今またフィルムカメラや昔のデジカメが人気だったりするみたいに。
そう考えると、おそらくまた何年か後に若い人たちが再認識すると思うんですよ、 天神にパルコがあった意味みたいなものを。

ネットでいろんなものが買えるようにはなったけど、やっぱりこう、実際に触れることや、大量に浴びに来るみたいなことが、どれだけ面白くて豊かかっていうこと。
なくなってから後悔したり、欲しがるぐらいだったら、
今のうちに味わったらいいんじゃないのって思いますね。

だからパルコがなくなることは、やっぱりかわいそうな気持ちもありますね。

今日のお話を聞きながら、江口さんはパルコを古くからの友人のように
思われてるんだなって感じていました。

いや、クリエイティブ的に教えられたことばっかりなんで、もう大先輩ですよ。
ちょっと寂しさもあるけど、必ず帰ってくるんですよねって思っています。

インタビューの夜、たまたま通りかかりました。
なんだか寂しげに凛と佇んでおりました。

写真:江口カン

江口カン

代表作
Netflixドラマ「サンクチュアリ –聖域–」
映画「ザ・ファブル」シリーズ
映画「めんたいぴりり」シリーズ
映画「ガチ星」
Webムービー:Dole「もったいないバナナSTORY」(ギャラクシー賞大賞受賞)
CM:PARCO CITY「WE the FUTURE」

福岡県生まれ。
福岡高校卒業。九州芸術工科大学(現・九州大学芸術工学部)卒業。
1997年、映像制作会社 KOO-KI(くうき)設立。
2007~2009年、カンヌ国際広告祭で三年連続受賞。

映像以外では、
2020年、辛さの単位を統一するアプリ「辛メーター」を発案、プロデュース。
現在登録ユーザー数約10万人。
辛メーター:https://karameter.com/